大道芸通信 第365号

大道芸通信 第365-①号.jpg大道芸通信 第365-②号.jpg
木魚講 木魚節 木遣念仏

 右の三者はいずれも木魚講からの流れである。というより、木魚講から派生した独立したものと思える。中でも木遣念仏は 木魚講が念仏に取り入れた木遣を 逆輸出したように思える。木魚節については、講内での念仏の唱え方に相違が出てきたものであろうか。これだけが未だに名前だけで手がかりがつかめていないので想像するばかりである。
木魚講については、これまで『藤岡屋日記』の「寛政の頃、浅草寺観世音の御花講と唱し木魚講を試み念仏にきやり同様の節を付候」に基づき、寛政年間(1789~1801)に始まったとしていた。 ところがその後、『それそれ草』(宝永元年(1704)自序、正徳五年(1715)刊)に、次の一節を見いだしてから、宝永元年以前に切り替えた。
「近き頃 貧賎無碌のやから無情講として組々をさだめ少ツ(すこし )ツの懸銭(かけせん)を集め其中に死の先だつものあればそのつみ(積)銭を以て講中より合い(寄合)のべ(野辺)送り不足なき程にとり調子(ママ) 
近頃此事大に流行り木魚講と称し 大な(おおき )る木魚に紐付けて首にかけてこれを打(うち)ツツ念仏をとなふれば其外これにつれて大声に念仏してのべ送りするなり」 『それそれ草』)

 貧賤無碌の輩(貧乏人)が
何時でも安心して死ねるように、少しずつ積み立て、死者が出たら取り崩して野辺送りの費用に充てるなど、はじめから木魚講の趣旨に同じである。
当初は無情講という名前であったが、無常といえば死を意味するから、無情に変えたのだろうが、講員が増えるにつれ、音韻にこだわったのかもしれない。直接話法を避け、木魚講に名前を変えたようである。これなら趣旨も変わらず、響きもいい。近き頃と近頃では近頃の方がより今に近い。
 しかしどのくらいの時間差があるかはわからない。わからないなりに数年内だろう。無情講の始まりを元禄(1688~1704)末期頃とみたい。まもなく右の理由から、木魚講に改めたようである。更に幾星霜か重ねるうちに、念仏に木遣を取り入れた。
これが当時の人々の琴線に触れ、爆発的に流行りだした。と、ここで木遣の始まりは何時か。元々労働歌であった木遣が俗謡として歌われるようになるまでには時間を要す。江戸の町が整備され出すのは明暦の大火(1657)以降享保年間(1716~36)頃からである。焼け落ちた町の再建に、おびただしい数の木材需要があった。
木遣の始まりは好景気に支えられた木場の職人たちによってだろう。一方では享保の飢饉も始まる。追い詰められた人々は勢い宗教に走る。木魚講が流行るのもその頃からである。『藤岡屋日記』が書くように、念仏に木遣を取り込んだこともよかった。
木魚講も影響を受けたが、木遣も受けた。木遣に念仏を取り入れて出来たのが、「木遣念仏」である。江東区文化財係が紹介するホームページに「富岡八幡宮別当永代寺の住職がひろめたといわれる」とあるように、念仏とのつながりが生まれる。しかも木魚で音頭をとる人を坊さんと呼んでいる。
これは明らかに木魚講の影響を受けている。しかし、その後のお互いの交流については不明であり、現在はそれぞれが全く別物として伝承され交流はない。
 余談だが、木魚講が盛んであった頃には妊婦に対する隠語として木魚講が使われたようである。
木魚講と木遣念仏との関係が漸くつながった。しかし、木魚節については未詳のままである。
宗教に流派はつきものである。念仏の節を巡っての相違だろう。想像をたくましくすれば、寺社詣でを重んじる木魚講(一月の西新井大師、六月の川崎大師)と念仏を主に講の隆盛を図る木魚節だが、昭和三年に西新井大師境内へ建立された、木魚講碑には両者並んで名前が刻まれてある。何れにしろ、東京都の無形文化財として、将来まで共に伝承してほしいものである。なお、木遣念仏もまた江東区の文化財として、様々な分野で活躍中である。
木魚講御詠歌➁
先月に引き続き今月も木魚講御詠歌を紹介する。先月は、表紙、一二、三四、七八頁だったので、今月は抜けている五六頁に加えて,九一〇頁から続ける。

  信州善光寺
  √みわここに
サア こころはしなのの
オサ ぜんこうじ
サア みちびきたまへ
オサ みだのじやうどへ


信州善光寺裏
√わかきとて
サア すへをはるかに
オサ 思うなよ
サア むじゃうかぜわ
 サア ときをきうハず

西国一番
√ふだらくや
サア きしうつなみに
オサ みたままの
サア ならのおやまに
ひびくたきつせ  
   
西国三番
√ちちははの
サア めぐみもふかき
オサ こかわでら
サア ほとけのちかい
オサ たのもしきかな

西国十六番
√まつかぜや
サア おとわのたきの
 オサ きよみずを
むすぶこころわ すずしかるらん

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時間・午後六時ー七時半
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編集雑記
木魚講御詠歌を写し終えてほっとした。これで多くの人の目に触れるし興味を持つ人が出てくるかもしれない。最後の三十三番は、満願寺谷汲山華厳寺であり、大道芸をやる人なら、「谷汲観音」といえば、生人形最高傑作を思う。
「今までは親と頼みし笈摺を抜きて納る美濃の谷汲」 修行の旅も終わったと笈を下ろしてお寺へ納める。





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