大道芸通信 第363号

金 輪 つ か いhttps://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/005/008/43/N000/000/000/166079684492083780939-thumbnail2.jpg?1660796845666 最近もマジックなどで「チャイナリング」として盛んに行われる「金(かな)輪(わ)使い」だが、発祥は言わずとも大道芸である。
左図は『放下筌』から採ったものだが、七個もの金輪を操っている。これより以前享保十五年(一七三〇)発行の『絵本御伽品鏡』や宝暦二年(一七五二)の『絵本御伽品鏡』は、共に五個である。時代が遅い分技能が上がったようで、芸風も一番派手である。しかし、此の頃がピークだったのだろうか。十返舎一九の『金の草鞋』(文化十年~天保五年=一八一三~三四発行)になると、現在同様三個に減る。
やる人の数が増えたら伎量があがる。底辺層が増えると技術は向上する。そう考えるのが普通である。処が大道芸に限れば逆である。出演するのは好きだが稽古は嫌いと云う人ばかりが増える。
十分でいいから稽古をしてくれと、繰り返しても、まともに聞いてくれる人は殆どいない。その代わり繰返し稽古した人はぐんぐん伸びる。何時の間にか小生を追い抜き、トップクラスの芸を身につける。そうなると面白くなるから益々励む。更に上達する。誰も追いつけないほど差が開く。
反面稽古しない人は「自分もやるぞ」と発奮する人は滅多にいない。大抵ふて腐れていなくなっててしまう。これの繰返しで三十年経った。
 大道芸だけではないが、どんな芸でも、人に見せられるようになるには最低十年かかる。私の残り時間を考えたら、あと何年続けることができるか、振り返ることが増えた。何れにしろ今から始めたんじゃあ、間に合わない。数年前から積極的に新人募集を行っていないのはそんな理由である。但し、今いる人たちに対しては、やる気を続けている限り、最後の一人まで責任を持って対応するつもりである。
扨、上の『金輪の曲』は、種明かしみたいなものである。金輪に限らず『放下筌』は全てのタネを明かしているから大いに参考になる。
 実際には、タネがわかることと出来ることはまるで違う。イベントなんかでも「ああれ知ってる!」と得意になって喋っている声が時々耳に入るが、云う人は得意なんだろうが、邪魔な声である。何人かの人はわかっている。しかし、それを承知の上で楽しんでいるのだ。それは立場を変えても同じ。伎量を確認しながら感心したり驚いたりしているのだ。
金輪(チャイナリング)などは、マジック屋ならどこでも売っているから、大抵の演者は知っている。だから見せ方や(リングの)さばき方、手の動きの見事さを見ているのである。夫々欠点や失敗ではなく、上手ければどう取り入れようかを考えるのである。そうすることによって.少しでも自分の技量を高めようとするのである。
 それは啖呵口上も同じ。最近は見事な啖呵を聞くことはないが、落語や芝居などを聞くと参考になることがままある。今は引退した私の仲間のIさんなどは、部屋中にメモ用紙を置いて思いついたことや、ふと耳にした言葉で気になったものはメモしていた。
 そうすることによって常に最新の情報や話題を取り入れていた。そういうことを日常的にしていたから、世代を超えてよろこばれる啖呵を喋っていた。本人は謙遜していたが、私は日本一の啖呵だと思っている。諸般の事情でやむを得ず引退したが、庶民文化である大道芸伝承にとっては大変な損失だある。

 大道芸の会会員募集 
 あらゆる芸能の原点でありながら ワシントン条約は言わずもがな芸能界からさえ無視され続けられている絶滅危惧種「日本の大道芸」を一緒に伝承しませんか 稽古日は左記の通りです
●第三六三回目 三月九日(水(すい))

●第三六四回目 四月十七日(水(すい))
時間・午後六時ー七時半
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 歴史や時代背景等学問的知識を学び、技術を向上させたい人の、学習会や特別稽古も行います(一名から)
●日時 ・場所(随時)

 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
金輪使いを特集したのは、北京五輪のマークを見たからではないが、並べ方によってはそう見えなくもない。五人の玉すだれ演者が並べば簡単に五輪マークとなる。何れにしろ見立て文化だから、何とでも解釈できる。半分以上はお客の想像力に期待して、適当なことを言うのが大道芸である。必要と思う人はどれだけいるか。絶滅までのカウントダウンが始まっても誰も気付かんし興味もない。

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