大道芸通信 第350号
肥後(熊本)の海中に アマビエ現る
年は改まっても愈々コロナは蔓延し収まる気配は見えない そのため藩政時代同様 昨年は「アマビエ」がもてはや された 元々熊本にしかいなかったのであるが 新型コロ ナのお蔭で忽ち全国版になった 京都大学附属図書館所 蔵の左記瓦版によると 弘化三年(1846)に熊本の海中に現 れた時のものという 曰く
肥後国海中に毎夜光る物出る 所の役人行き見るニづ(図)の如く出現す 私は海中に住むアマビエと申す者也当年より六ヶ年之間 諸国豊作也 併病流行早々私ヲ写し人々に見せ候得と申して海中へ入けり 右(ママ)ハ写し 役人より江戸江申来る写也
弘化三年四月中 ニ而
現在もまた何ら対策を取らず ひたすら拝むだけというのが情けない 挙げ句 国民には五人以上集まるなといったその夜 高級焼肉店で祝杯をあげるというのだから呆れる そういえば藩政時代にも似たようなことが行われていた 舞台は松平定信が行った寛政の改革の時である 庶民には質素倹約を命じながら自分は「浴恩園」というまれに見る大庭園と邸宅を構えた。どれ位の規模かというと 跡地が旧築地市魚場だったのである 市場が現役であった頃には塀にそのことを記した看板が出ていたが その後行かないので どうなっているかは知らないが 二百三十余年経っても為政者のやることは少しも変わらないから腹が立つ
何れにしろ今年も神風が吹くのを待つ以外の対策はなさそうである。それでもコロナにかかったら自助努力がたらんと言われるのだろう。馬鹿馬鹿しい話である。
アマビコ
アマビコは「海彦」「天彦」「尼彦」等色々な字が宛てられるが、ひこだけは共通しているので牡であろう。天保時代から明治初期に掛けて、主に海辺に生息していたようである。その意味で海彦(あまびこ)と書くのが一番相応しい。こちらもアマビエ同様、足が三本生えているが手はない。出現場所は、肥後や越後などアマビエよりは広範囲だが、夜ごと光ることは同じである。
更に豊作の予言と疫病の流行を知らせること、姿を見たものは病魔を逃れることが出来るのもアマビエと同じである。だから元は同じだったのではなかろうといわれる所以である。
真ん中の絵は龍宮のお使女である。出現したのは肥前国だから、佐賀か長崎である。こちらは深海にある龍宮の使いに相応しく、四肢ではなく鰭になっている。ただ尾が三つ叉に分かれているのはアマビエの仲間の証し。人魚のような顔をしているが、頭に角が生えていたり、胴体が長いのは、龍の化身ともいえる。
『熈代勝覧』が載せる生業⑬
神田今川橋から始まった『熈代勝覧』も、室町一丁目を過ぎたとこまで来た。終点日本橋までは間もなくである。
●辻駕籠
庶民が乗る流しの駕籠屋。休息用の息杖を持つ。
●小間物売り(右)と定斉屋
小間物は化粧道具など。定斉屋は薬売り。
● 野菜売り
野菜売りは長時間かかるため、普通常息杖を持つが、この附近は短時間で売りきれたのだろうか。
●露店の野菜売り
市場から仕入れたばかりの野菜を道端へ拡げて商う。
●豆腐?売り(不知)
左はヤッコ売りか 天秤棒の先へ下げてあるのはタレ?
●小芋売り?
黒くて丸い野菜は小芋か八つ頭だろう(大きさで判断する以外の方法を知らないため)。竿(さお)秤(ばかり)で目方を確認中。
● 野菜売り
向こうを向いているのもこちらを向いているのも籠に野菜が一杯入っているから、共に野菜売りである。こちらを向いている方は、息杖を使って休息中である。
今回はわからんものが多いかった。修行が足らんのう。
大道芸の会会員募集
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。
●第三五〇回目 二月十日(水(すい))
●第三五一回目 三月十日(水(すい))予定
時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリー・ワンやナンバー・ワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)
随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知
編集雑記
私事で恐縮だが、『日本大道芸事典』思いの外評判がよく、初版は三月(みつき)で絶版。昨年十一月に増刷した二刷も、昨年末の版元在庫が九十九冊。二万四千二百円もする高い本をよくぞ買ってくれたと、感激するより吃驚している。最初は高過ぎると渋っていた図書館も、隣の館が買ったことがわかると、対抗するように買ってくれたそうである。お蔭で二十三区内には、最低一冊以上ある勘定。喜
年は改まっても愈々コロナは蔓延し収まる気配は見えない そのため藩政時代同様 昨年は「アマビエ」がもてはや された 元々熊本にしかいなかったのであるが 新型コロ ナのお蔭で忽ち全国版になった 京都大学附属図書館所 蔵の左記瓦版によると 弘化三年(1846)に熊本の海中に現 れた時のものという 曰く
肥後国海中に毎夜光る物出る 所の役人行き見るニづ(図)の如く出現す 私は海中に住むアマビエと申す者也当年より六ヶ年之間 諸国豊作也 併病流行早々私ヲ写し人々に見せ候得と申して海中へ入けり 右(ママ)ハ写し 役人より江戸江申来る写也
弘化三年四月中 ニ而
現在もまた何ら対策を取らず ひたすら拝むだけというのが情けない 挙げ句 国民には五人以上集まるなといったその夜 高級焼肉店で祝杯をあげるというのだから呆れる そういえば藩政時代にも似たようなことが行われていた 舞台は松平定信が行った寛政の改革の時である 庶民には質素倹約を命じながら自分は「浴恩園」というまれに見る大庭園と邸宅を構えた。どれ位の規模かというと 跡地が旧築地市魚場だったのである 市場が現役であった頃には塀にそのことを記した看板が出ていたが その後行かないので どうなっているかは知らないが 二百三十余年経っても為政者のやることは少しも変わらないから腹が立つ
何れにしろ今年も神風が吹くのを待つ以外の対策はなさそうである。それでもコロナにかかったら自助努力がたらんと言われるのだろう。馬鹿馬鹿しい話である。
アマビコ
アマビコは「海彦」「天彦」「尼彦」等色々な字が宛てられるが、ひこだけは共通しているので牡であろう。天保時代から明治初期に掛けて、主に海辺に生息していたようである。その意味で海彦(あまびこ)と書くのが一番相応しい。こちらもアマビエ同様、足が三本生えているが手はない。出現場所は、肥後や越後などアマビエよりは広範囲だが、夜ごと光ることは同じである。
更に豊作の予言と疫病の流行を知らせること、姿を見たものは病魔を逃れることが出来るのもアマビエと同じである。だから元は同じだったのではなかろうといわれる所以である。
真ん中の絵は龍宮のお使女である。出現したのは肥前国だから、佐賀か長崎である。こちらは深海にある龍宮の使いに相応しく、四肢ではなく鰭になっている。ただ尾が三つ叉に分かれているのはアマビエの仲間の証し。人魚のような顔をしているが、頭に角が生えていたり、胴体が長いのは、龍の化身ともいえる。
『熈代勝覧』が載せる生業⑬
神田今川橋から始まった『熈代勝覧』も、室町一丁目を過ぎたとこまで来た。終点日本橋までは間もなくである。
●辻駕籠
庶民が乗る流しの駕籠屋。休息用の息杖を持つ。
●小間物売り(右)と定斉屋
小間物は化粧道具など。定斉屋は薬売り。
● 野菜売り
野菜売りは長時間かかるため、普通常息杖を持つが、この附近は短時間で売りきれたのだろうか。
●露店の野菜売り
市場から仕入れたばかりの野菜を道端へ拡げて商う。
●豆腐?売り(不知)
左はヤッコ売りか 天秤棒の先へ下げてあるのはタレ?
●小芋売り?
黒くて丸い野菜は小芋か八つ頭だろう(大きさで判断する以外の方法を知らないため)。竿(さお)秤(ばかり)で目方を確認中。
● 野菜売り
向こうを向いているのもこちらを向いているのも籠に野菜が一杯入っているから、共に野菜売りである。こちらを向いている方は、息杖を使って休息中である。
今回はわからんものが多いかった。修行が足らんのう。
大道芸の会会員募集
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。
●第三五〇回目 二月十日(水(すい))
●第三五一回目 三月十日(水(すい))予定
時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリー・ワンやナンバー・ワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)
随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知
編集雑記
私事で恐縮だが、『日本大道芸事典』思いの外評判がよく、初版は三月(みつき)で絶版。昨年十一月に増刷した二刷も、昨年末の版元在庫が九十九冊。二万四千二百円もする高い本をよくぞ買ってくれたと、感激するより吃驚している。最初は高過ぎると渋っていた図書館も、隣の館が買ったことがわかると、対抗するように買ってくれたそうである。お蔭で二十三区内には、最低一冊以上ある勘定。喜