大道芸通信 第349号
『熈代勝覧』が載せる生業⑫
第341号で「室町一丁目北側」の半分まで進んだが、未だ同じくらい残っている。続きをご覧じろ。
●金山寺味噌売り
鎌倉時代に宋で修行した禅僧・心地覚心(法燈国師)によって日本へもたらされたとされる。同師は宋での修行時代、浙江省杭州にあった能仁興聖万寿禅寺(通称徑山寺(きんざんじ))で作られていた嘗味噌の製法を体得して帰国。高野山を経て開山した紀州由良(和歌山県日高郡由良町)にある禅宗法燈派の本山鷲峰山興国寺の周辺に伝えたとされる。由良の地は水が硬質であるため、良質な水を求めて、北は有田川、南は日高川周辺で広く製造されるようになったと伝わる。そのためか現在も和歌山県の特産とされる。日本での表記は「金山寺味噌」が多い。
●人形配達人? それとも 屋台の配達人? 或いは けとくの配達か?
十(じつ)軒(けん)店(だな)にあった人形屋の配達人か、それとも同じ通りの手前(第341号)に出ている調合屋の配達人か。
はたまた通本町三丁目にあった「けとく」の大看板を掲げた薬種屋・小西林兵衛商店の配達人か。
大層な荷物の大きさから見て人形配達人か薬種屋だろうが、みなさんはどちらと見る。
●菓子の屋台
日除傘に「近江屋」と書いてあるから、菓子輔近江屋の出店なのだろうが、さて近江屋がわからない。
念のためネットで調べたら明治以降に始まった洋菓子屋ばかりであった。
ザンネン!
●配達人か、それとも同じ通りの手前(第341号)に出ている調合屋の配達人か。
はたまた通本町三丁目にあった「けとく」の大看板を掲げた薬種屋・小西林兵衛商店の配達人か。
大層な荷物の大きさから見て人形配達人か薬種屋だろうが、みなさんはどちらと見る。
●菓子の屋台
日除傘に「近江屋」と書いてあるから、菓子輔近江屋の出店なのだろうが、さて近江屋がわからない。
念のためネットで調べたら明治以降に始まった洋菓子屋ばかりであった。
ザンネン!
●六十六部
日本全国(六十六州)を廻り、代表寺院へ法華経一巻宛を納めるのが「六十六部」または略して「六部」と云った。実際には年中江戸に住みひたすら生活費稼ぎにいそしむものが多かった。そういう連中を「仲間六部」とか「偽六部」と呼んでいた。
●糞尿集め
化学肥料のない当時は人糞は貴重であった。農家にとって安定的に糞尿が確保できる武家屋敷や長屋は得意競争が激しく、農家にとっても上得意であった。そのため謝礼として農作物を配るのが習わしであった。そんな農作物は空の肥(こえ)担(た)桶(ご)に入れて運んだ。
つまり行きは野菜を、帰りは糞尿を入れて運んでいた。
今なら抗菌族が顔をしかめるだけでなく、卒倒しそうだが、当時としては当たり前且つ合理的な方法であった。人間の躰から出たものに対する不潔感を持つ方がおかしい。循環社会とはそんなものであり不思議でも何でもない。
●修験者
修験者つまり山伏である。この絵ではよくわからんが、よく見れば頭に兜巾らしきものが見える。今程大きくはないが左の山伏はホラ貝を吹いているようである。
『日本大道芸事典』を読んでわかるように、昔から大道芸と山伏は切り離せない繋がりがある。香具師(大道芸人)は薬師であるように、元々薬売りである。その薬に付加価値をつけるのが祈祷でありお札である。幸い山伏修験者がお手のものばかりである。
祈祷の成果を形にしたものがお札であり、お札の成果を湿すのが薬草である。
修験者を粧った芸の多さは群を抜いている(神霊御符り、薬草売り、不動金縛りの術や危険術等ざっと思い出しただけでもそれ位ある。焼占(神霊炙出し)や刀の刃渡りなどもそうじゃ。さんげさんげ等も山伏姿で演じた。 ここに出てくる修験者も基本的には同じだろう。それとも単なる物貰いか。ザンネンながら絵だけではわからん)。
● 旅人
長い道のりをやり過ごし漸く江戸へ着いたなあ。と改めて見やっている姿、これぞ旅人。サア!次へ行くぞ。
●坊主と小僧
坊主が威厳をただそうと ふんぞり返っているのに対し小坊主の方は、心ここにあらず「あれ なんだろう」と振り返って何かを見ている。
● 大八車
今ならトラックだろうが、当時そんなものはない。人間様が前を曳き後を押して運んだ。俵に入っているのは米か炭か それともほかに?
●話に夢中の女二人
男たちが汗水垂らしながら荷物を運んでいるすぐ後で何やら夢中になって喋りよる女二人。
● (街頭)講釈
数人の男たちに囲まれているのは講釈師である。時に笑いを交えながら気楽な気持ちで聞いていた。面白ければ最後まで聞いてやりなにがしかの対価を渡した。その際直接指先が触れないよう手に持った扇を半開きにして受け取るのが習わしであった。つまらなければ途中でいなくなることも普通であったから、講釈師も必死で話を面白くした。『守貞謾稿』には、「講釈」のほかにも乞胸配下には、似たようなことをする「物語」を載せる。古戦物語などの素読致し候者にて、当時社地抔には無之。家々の門に立ち本読致候。
大道芸の会会員募集
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。
●第三四八回目 一月二十日(水(すい))
●第三四九回目 二月十日(水(すい))
時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリー・ワンやナンバー・ワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)
随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知
編集雑記
コロナコロナで騒いでいた一年であったが、益々勢いを増す中で今年も暮れそうじゃ。三月以降、全てのイベントは中止か最初から声がかからなかった。しかし対策はせずに、強盗トラブルは六月まで延長し、コロナ菌をまき散らしに行くそうな。一方英国では副作用の心配はあるものの、エリザベス女王以下上級国民が率先して受けたそうな。何れどちらがよかったかの
結論が出るだろう。
第341号で「室町一丁目北側」の半分まで進んだが、未だ同じくらい残っている。続きをご覧じろ。
●金山寺味噌売り
鎌倉時代に宋で修行した禅僧・心地覚心(法燈国師)によって日本へもたらされたとされる。同師は宋での修行時代、浙江省杭州にあった能仁興聖万寿禅寺(通称徑山寺(きんざんじ))で作られていた嘗味噌の製法を体得して帰国。高野山を経て開山した紀州由良(和歌山県日高郡由良町)にある禅宗法燈派の本山鷲峰山興国寺の周辺に伝えたとされる。由良の地は水が硬質であるため、良質な水を求めて、北は有田川、南は日高川周辺で広く製造されるようになったと伝わる。そのためか現在も和歌山県の特産とされる。日本での表記は「金山寺味噌」が多い。
●人形配達人? それとも 屋台の配達人? 或いは けとくの配達か?
十(じつ)軒(けん)店(だな)にあった人形屋の配達人か、それとも同じ通りの手前(第341号)に出ている調合屋の配達人か。
はたまた通本町三丁目にあった「けとく」の大看板を掲げた薬種屋・小西林兵衛商店の配達人か。
大層な荷物の大きさから見て人形配達人か薬種屋だろうが、みなさんはどちらと見る。
●菓子の屋台
日除傘に「近江屋」と書いてあるから、菓子輔近江屋の出店なのだろうが、さて近江屋がわからない。
念のためネットで調べたら明治以降に始まった洋菓子屋ばかりであった。
ザンネン!
●配達人か、それとも同じ通りの手前(第341号)に出ている調合屋の配達人か。
はたまた通本町三丁目にあった「けとく」の大看板を掲げた薬種屋・小西林兵衛商店の配達人か。
大層な荷物の大きさから見て人形配達人か薬種屋だろうが、みなさんはどちらと見る。
●菓子の屋台
日除傘に「近江屋」と書いてあるから、菓子輔近江屋の出店なのだろうが、さて近江屋がわからない。
念のためネットで調べたら明治以降に始まった洋菓子屋ばかりであった。
ザンネン!
●六十六部
日本全国(六十六州)を廻り、代表寺院へ法華経一巻宛を納めるのが「六十六部」または略して「六部」と云った。実際には年中江戸に住みひたすら生活費稼ぎにいそしむものが多かった。そういう連中を「仲間六部」とか「偽六部」と呼んでいた。
●糞尿集め
化学肥料のない当時は人糞は貴重であった。農家にとって安定的に糞尿が確保できる武家屋敷や長屋は得意競争が激しく、農家にとっても上得意であった。そのため謝礼として農作物を配るのが習わしであった。そんな農作物は空の肥(こえ)担(た)桶(ご)に入れて運んだ。
つまり行きは野菜を、帰りは糞尿を入れて運んでいた。
今なら抗菌族が顔をしかめるだけでなく、卒倒しそうだが、当時としては当たり前且つ合理的な方法であった。人間の躰から出たものに対する不潔感を持つ方がおかしい。循環社会とはそんなものであり不思議でも何でもない。
●修験者
修験者つまり山伏である。この絵ではよくわからんが、よく見れば頭に兜巾らしきものが見える。今程大きくはないが左の山伏はホラ貝を吹いているようである。
『日本大道芸事典』を読んでわかるように、昔から大道芸と山伏は切り離せない繋がりがある。香具師(大道芸人)は薬師であるように、元々薬売りである。その薬に付加価値をつけるのが祈祷でありお札である。幸い山伏修験者がお手のものばかりである。
祈祷の成果を形にしたものがお札であり、お札の成果を湿すのが薬草である。
修験者を粧った芸の多さは群を抜いている(神霊御符り、薬草売り、不動金縛りの術や危険術等ざっと思い出しただけでもそれ位ある。焼占(神霊炙出し)や刀の刃渡りなどもそうじゃ。さんげさんげ等も山伏姿で演じた。 ここに出てくる修験者も基本的には同じだろう。それとも単なる物貰いか。ザンネンながら絵だけではわからん)。
● 旅人
長い道のりをやり過ごし漸く江戸へ着いたなあ。と改めて見やっている姿、これぞ旅人。サア!次へ行くぞ。
●坊主と小僧
坊主が威厳をただそうと ふんぞり返っているのに対し小坊主の方は、心ここにあらず「あれ なんだろう」と振り返って何かを見ている。
● 大八車
今ならトラックだろうが、当時そんなものはない。人間様が前を曳き後を押して運んだ。俵に入っているのは米か炭か それともほかに?
●話に夢中の女二人
男たちが汗水垂らしながら荷物を運んでいるすぐ後で何やら夢中になって喋りよる女二人。
● (街頭)講釈
数人の男たちに囲まれているのは講釈師である。時に笑いを交えながら気楽な気持ちで聞いていた。面白ければ最後まで聞いてやりなにがしかの対価を渡した。その際直接指先が触れないよう手に持った扇を半開きにして受け取るのが習わしであった。つまらなければ途中でいなくなることも普通であったから、講釈師も必死で話を面白くした。『守貞謾稿』には、「講釈」のほかにも乞胸配下には、似たようなことをする「物語」を載せる。古戦物語などの素読致し候者にて、当時社地抔には無之。家々の門に立ち本読致候。
大道芸の会会員募集
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。
●第三四八回目 一月二十日(水(すい))
●第三四九回目 二月十日(水(すい))
時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリー・ワンやナンバー・ワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)
随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知
編集雑記
コロナコロナで騒いでいた一年であったが、益々勢いを増す中で今年も暮れそうじゃ。三月以降、全てのイベントは中止か最初から声がかからなかった。しかし対策はせずに、強盗トラブルは六月まで延長し、コロナ菌をまき散らしに行くそうな。一方英国では副作用の心配はあるものの、エリザベス女王以下上級国民が率先して受けたそうな。何れどちらがよかったかの
結論が出るだろう。