大道芸通信 第341号


『熈代勝覧』が載せる生業⑪
幕末のメインストリート 今川橋から日本橋へ向かう通(とおり)町(ちよう)通りも 愈々室町一丁目に差しかかった。ここまで来ると喧噪の日本橋は目と鼻の先にある。日本橋といえば魚河岸=魚のイメージが強いが、青菜を売る見世や屋台、振り売りのほうが目立つ。春先に今川橋を出たが、ここまで来ると初夏の雰囲気が増すようである。(室町一丁目北側)
● 小間物売り 抽斗の沢山ついた箱を背負う者は、薬や化粧品などの香具を商うものが多い。
●太神楽(丸一派) 太神楽は永正年間(1504~21)熱田神宮や伊勢神宮の神官が、獅子頭を持って諸国を回り太々神楽を舞いお札を配ったことがはじまり。 これが後に余技である芸能部分が強調されるようになり、寄席芸や大道芸に変化した。熱田派と伊勢派の別があり、それぞれ十二組づつあった。○の中へ一字を書いた(○一)「丸一組」は、熱田派の構成員である。右図は梵天を持った者を先頭に、太鼓笛、鏡箱を持った者と続いている。
●薦を着た乞食 炭俵みたいな格好で杖を突いているのは乞食である。左のたばこ売りに報謝を頼んでいるが、そっぽを向かれたところのようである。
●たばこ売り 抽(ひき)斗(だし)の沢山ついた担い箱は是斎(ぜさい)(定斉(じよさい))屋のイメージが強いが、元々たばこ売りがはじまりである。この絵も「国(こく)分(ぶ)」とあるから、大隅(鹿児島県)名物の国分たばこ売りである。『我衣』は「ガチャガチャたばこ」として是斎屋に先行する、抽斗の鐶(かん)を鳴らすものを紹介している。曰く。《貞享年中(1684~88)迄刻多葉粉(きざみたばこ)見世売計にて世利うりなし。葉烟草を調べ手前にて刻む也。然れども若き女中などの類は、やに深きをきらい刻たばこやにて色合黄なる和らかなるを調のみたり。元禄年中より刻たばこせり売出る。箱図の如し。
其後元文年中(1736~41)神田鍋町に叶屋と云刻たばこや出る。十余人切子をかかへ、かつぎ荷六七荷出す。江戸中を売弘めたり。此時よりかつぎ荷始る。其より宝永年中(1704~09)に至て世利箱丁寧に致す。宝暦年中(1751~64)に至てすべて刻たばこや、になひ箱になる。
● 調合売り 調合売りといえば第一に「七色唐辛子売り」を思い浮かべるが、違うようである。
話は変わるが、傘と垂れ幕の真ん中に「八(はち)○(まる)」が描いてある。一見、十軒店にあった左記雛人形屋「万屋」と似ているが、万屋は八○ではなく∧○(やね・まる) である(尤傘は∧○)。生業も全く異なる事は見たとおりである。したがってこれも何を売っていたか不明と応えるしかなかろう。
●乞食芸人 瞽女(ごぜ)という人もあるみたいだが、違う。盲目の女性が幼少期から親方について厳しい修行を続けながら、三味線や歌の修業を重ねた挙げ句に漸くなれるのが瞽女である。苦難の旅を続けたことから生まれる風格がこの両人にはない。
「いい人と歩けば祭 悪い人と歩けば修業」「瞽女と鶏は死ぬまで歌わねばならない」とは、ある老瞽女の呟きである。これに対し上の絵は「いよっ 若旦那!」とでも云いそうな太鼓持ち的だが、如何にも薄汚い様は乞食芸人に相応しい。
● 琵琶法師 琵琶法師は琵琶の曲を伴奏に平家物語を語っていたが、後には浄瑠璃なども語るようになった。絵の琵琶法師は、盲人の手引きで馴染客の元へ歩いて行くところであろう。盲人が按摩治療をしている間、法師が琵琶を弾きながら浄瑠璃を聞かせると思える。
案内役の盲人の足取りも軽く法師の表情も穏やかである。長くコンビを組んでいる様子が見えて微笑ましい。
(以上『熈代勝覧』)
居 合 抜 き の熊 胆 丸 売 り
高下駄を履いて重ねた三方に乗り、居合抜きを見せて集客手段とする。そんな商売は、反魂丹(松井源左衛門)や歯磨き(永井兵助)売りが知られている。しかし、熊(くま)胆(のい)丸(がん)は滅多にない。管見の限りこの絵が唯一である。
反面、熊の膏薬売りなら熊の伝三がよく知られていた。彼は熊の毛皮を被っていた。『誹風柳多留』も、
下女が足 熊の伝三に 入れあげる
という川柳を載せる。水仕事の多い下女(最下層のお手伝い)は、皹(ひび)や皸(あかぎれ)に悩まされていたことを受けてのことである。
曲亭馬琴はこの伝三をモデルに『三七全伝南柯夢』を書き、後には江戸に流行った商人の様子を狂歌と絵に描いた『流行商人絵詞』でも熊の伝三膏薬を紹介する。
熊胆丸は塗り薬ではなく飲み薬である。熊の胆嚢を乾燥させ消化器系の生薬として用いていた「熊胆(くまのい)」を丸薬にしたものである。
子供が覗き込んでいる檻の中に入っているのは、熊の子である。また三方の左に控えている男は子分である。居合抜きが上手く言ったとき、
「よっ!日本一!」とか何とか声をかけるのが役目である。或いは長刀を抜く直前に短いものと交換する役目もあったりした。更にひどい(上手い)ものになると、刀を抜かないまま話をすり替え、後ろの黒い箱の中から「熊胆丸」を次々とお客に売りさばいたりしていた。
なお近年「ゆうたんがん」と読むようになったらしいが、通じれば良しとしよう。
大道芸の会会員募集
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承ませんか。練習日は左記の通りです。
●第三三八回目 四月八日(水(すい))自主練
●第三三九回目 五月十三日(水(すい))予定
時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリー・ワンやナンバー・ワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)
随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知
編集雑記
津軽三味線のイメージは撥を三味線の腹へ叩きつけながら弾くものだと思っていた。その通りなのだが、それだけではない。高橋竹山の音を初めて聞いたとき、軽快さに吃驚した。
今月に入って烏山区民センターを一時閉鎖するといってきた。お蔭で急遽各自自宅での自主練に切り替えて貰うことにした。本紙印刷も区民センターでしているため当面の必要部数をコピーで対応することにした。