大道芸通信 第339号

江 戸 の 春
現在の春は三月から五月だが、一八七二年(明治五)までは一月から三月であった。何故そうなったかというと、それまで使っていた太陰暦を太陽暦に換えたからである。一八七二年十二月三日を、翌一八七三年(明治六)一月一日にしたからである。つまり七二年は十二月二日でお終い。翌日は新年(七三年)の一月(正月)一日となったからである。そのため七二年は大晦日のない(除夜の鐘もない)変則な年になった。これによって、以降の行事は季節とのずれが大きいが、江戸の行事は、季節とのずれは少ない。

先月は「江戸の正月」であったが、季節は春である。また当時は、今の一月のことを正月と云っていた。
 現在の感覚から云えば変な気がするが、それは慣らされただけのこと。一月中正月気分でいられるなら、素晴らしいことだと私は思う。
 それはそれとして、先月は初午まで書いたと思うから、今月は雛祭りから始める。本紙は歳事記ではないから、季節を前取りする。雛祭りと云っても直接ではない。雛祭りに欠かせないのが、「栄螺蛤公魚(わかさぎ)」である。今月の二十五日過ぎから雛祭りの前日まで「振り売り」が声をあげる。
 さざいに はまぐり 公魚やァ

 サザエではなくサザイというのが江戸訛である。『江戸府内 絵本風俗往来』は左記のように書く。
  ○魚売
御得意へ日々来る魚屋は、栄螺(さざえ) 蛤(はまぐり) ならびにわかさぎ(公魚)といふ、小魚の串に刺して焼きたるは、上巳当日の必要なる品にて大繁盛なるより、サザイやサザイ 蛤や蛤や の売り声、市中いづれの所にても聞こへざるはなし。
 右を見ても分かるように、栄螺 蛤 公魚(わかさぎ)の三点は上巳の節句(桃の節句 雛祭り)に欠かせない物であった。しかし現在では、栄螺と蛤はあるものの公魚は忘れ去られた状態となっている。
 しかし正確さを伝承する私たちは三点セットの姿を伝えるよう心がけている。
上の『江戸名所百人美女』は、コマ絵(枠内の絵)に十軒棚を描いたものである。 十軒店は神田駅東口から中山道を今川橋から日本橋へ向かう途中、日本橋室町三丁目 日本橋室町センタービルの壁に説明板があります。五代将軍綱吉が、京都の雛人形師十人を招き、それぞれ人形店を与えたことから、そう呼ばれるようになったと言われるが、確認したわけではない。
但し、天保年間以降は、雛人形や五月人形を売る床店(屋台)が、道の真ん中に二列の仮設店舗が並んだため、既存店と併せると四列並んでいたことは、様々な絵に描かれているから確かだろう。(二月二十五日から三月二日まで)
 十軒店以外にも雛人形を商う雛市が、尾張町や浅草茅町、駒込などにも立ったそうだが、十軒店が一番盛況だったようである。
 なお現代の雛人形につながると言われる古今雛ができたのは、明和年間(一七六四~七二)頃、十軒店の人形師・原舟月が作ったといわれるがはっきりしたことは判らない。
 いずれにしろ、何かにつけ、口を出す幕府は、豪華過ぎる雛人形を禁止したりしたが、段々贅沢になるのは世の常である。流行に随い様々な雛人形が作られたのはある意味当然である。
 上の絵の右上にある窓枠内は、十軒店の店先は常店(既存店)を描いたものである。床店とは異なり風格のある店構えである。
 雛祭りに白酒は欠かせないが、当時これの販売元として知られていたのは、鎌倉河岸に店を構えていた「豊島屋」である。『江戸名所図会』も描く同店の店先は、入口と出口を分けねばならぬ程賑わっていたようである。
 十軒店の賑わいはもう一度、端午の節句(五月)前には甲(かぶと)人形(武者人形)や鍾馗などの豪傑を描いた幟(のぼり)を売っていた。現在では幟は滅多に見ないが、当時は殆ど幟であった。あるにはあったが、鯉(こい)幟(のぼり)が主流になったのは、明治以降の流行である。
今の五月は春だが、当時は夏であった。だから子供たちが菖(しよう)蒲(ぶ)刀(がたな)で遊べる程豊富だったのである(今は温室育ちで高いから、菖蒲湯にするぐらいが精々)。夏と云えばお釈迦さんの誕生を祝う四月八日の「花祭り」も初夏の祭であった。従って両者とも、夏の時期に書くこととする。 さて、春に戻ると何と言っても花見である。これも雛祭り頃から始まった。
『江戸府内 絵本風俗往来』は上野の花見について書く。
《上野東叡山の花は三月節句前後咲き出す。桜狩りする人多し》
当時上野の山は全山寛永寺境内であったから、歌舞音曲飲酒禁止であった。だから皆静々と花を愛でた。その代わり、離れ過ぎているため一日がかりの行楽地であった飛鳥山では、羽目を外した。その名残で今も桜が多い。
 春と云えば花見、花見と云えば桜と続くが、江戸の昔も桜が一番人出が多かったようだ。『江戸名所花暦』には「春之部目次」に、左記のものを載せる。
○鴬  ○梅  ○椿  ○桃  ○東叡山桜 ○彼岸桜 ○桜  ○梨花  ○藪冬  ○菫草  ○桜草

右の中から桜を選択する。
   ○桜
東叡山 上野(一山の桜種々ありて開花の遅速ありといへども皆此処に挙る) 当山は東都第一の花の名所にして彼岸桜より咲出て一重八重 追々に咲きつづき 弥生の末迄花の絶ゆることなし
△糸桜(同六十日目)慈眼堂の前通り坊中
 寒松院 等覚院 護国院
△イヌ桜 (説明略)
△大仏辺 (説明略)
   ○彼岸桜
花屋敷(同五十日目) 番町厩谷杉田家の屋敷をいひしなり(以下略)
成子乗(常)圓寺 四谷新宿の先堀内道にあり(以下略)
   ○桜
隅田川堤(同七十日目頃) 墨田村(墨田の文字の書きざま古書にくさくさ(種々)あれどもここに引かず)墨田川は江戸第一の花の名所にして 此花は享保の頃台命によって植し所のものにして 今も枝を折ることを禁ずるは諸人の知る所なり(以下略)
東都も江戸も同じ事を云っているのに 上野も墨田も共に一番と紹介しているのは面白い どちらに忖度したのだろう 少々気になるのは下衆(げす)の勘ぐりか
外には木母寺 新吉原 浅草寺 神田明神等も桜の名所だったようである
 更には飛鳥山や王子権現も入るが 他書に比べ飛鳥山の紹介が嫌にあっさりしている 
飛鳥山「浅香山とも」同 王子権現より南の方芝山なり 八重一重の桜数千株を植させられ 花盛りの頃は木の間に仮の茶店をしつらひて群衆す 遥かに東北をながむれば 足立郡の広地眼下に見ゑて荒川のながれ白布を引くごとく佳景いふばかりなし これが全文である。
 何と書いてあるのか判らないことで著名な?「飛鳥山の碑」についての言及がないのも寂しい。桜とこの石碑を描いておきさえすれば どんなに下手でも飛鳥山と認識してくれる位知られていた。左記に碑文をからかった川柳と「飛鳥山碑」図を載せるので 読めるもんなら読んでみろ。因みに小生の心は川柳と全く同じ。

・飛鳥山何と読んだか 拝むなり
・この花を折るな だろうと石碑みる
・何だ石碑かと 一つも読めぬなり

また飛鳥山は上野と違って三味線などで歌舞音曲が絶えなかったと聞く。『江戸繁盛記』は寺門静軒(1796~1868[寛政八~慶應四])が著したものである。、天保二年(一八三一)病床に伏しむしゃくしゃした気持ちを落ち着かせるために書いたそうである。これに「売卜先生」という項目がある。六魔は最後に筮(ぜい)竹(ちく)算(さん)木(ぎ)を使うが、此の先生は最初から筮竹で占うようであるが、その話は六魔の参考になりそうなので紹介する。曰く。
 大概机上に人相図本を置き、俎に水を流すように滑らかな口調で御託を並べるとある。「日角(ひたいのすみ)(左目の上の骨相)、斯くの如くにして悪し」。或いは「人中(鼻の下の凹んだところ)、斯くの如くにして善し」。「是は凶」「是は吉」と。
 六魔同様、道行く人へ聞こえるように滔々と喋るから、皆「何事か」と、机の周りを囲うと。占いしてくれと云う人があると、筮竹を押し戴き、決まって云うことがある。
「爾の泰筮(たいぜい)常あるに仮(かる)」或いは「土保加美依身多女(とおかみえみため)」と唱えたりする。更には、念仏と題目をごちゃ混ぜに唱えることもある。
 最後には「二分四蝶(にぶしちよう)」(筮竹を使う一方法)に加え天眼鏡を取って、手の筋を照らしたり、人相を観察し、目や容貌、衣服にまで注ぎ、都会人であるかそうでないかを判断する。そうしておいて占い結果を伝える。
「君、去年は運勢が余り良くなかった。今年は某月に入る頃から幸運が向いてくる」
ひとこと言う度に相手の顔を見、相手の反応や顔色を見ながら話を進めていく。偉い医者が患者に容態を喋らせ、そのまま自分の診断にしてしまうことと同じである。
 或いは大きな溜息をき、「君が身、大厄を見るが如し。且つ吉凶禍福、絽しく細かに告ぐべき所あるも、廿四銅(文=易者の最低見料)、その報に満たず」と。これ以上の占いを続け判断を出すには、現状では(見料が)不足する。と急に多弁になり、財布の底をはたかせるまで続けるのである。(中略)
 或人が言うには、「今の占いは、狐□妄説(ここもうせつ)、唯(ただ)銭を是占い、いたづらに人を誑かすならずや」云々と、義憤しているが半面、一方では、「滔々として天火皆是也」と,悟ってもいる。占いは元来、深遠な天の秘密を漏らす行為なのだから、二十四文ぐらいで喋られようか。易者に誑かされたと云うが、易者のレベルがそこまで到達していなかっただけのこと。騙された方が悪いような言い方もする。

大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承ませんか。練習日は左記の通りです。
●第三三七回目 三月十一日(水(すい))
●第三三八回目 四月八日(水(すい))予定
   時間・午後七時ー九時
   場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリー・ワンやナンバー・ワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)
   随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
  立春を過ぎれば春といわれても,日が少し伸びた以外に春を感じることはない。それどころか今年はコロナウィルスが流行ったお蔭で大変な騒ぎである。どこもかしこもマスクが売り切れのようである。普段は鬱陶しいからマスクなどせんことにしているが、皆からやいのやいの言われるからやむを得ずしているが、眼鏡は曇るし碌なことはない。そんなことで例年以上に春が待ち遠しい。 早く来い

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