大道芸通信 第332号

芥子之介(助)

  源水は歯抜き目抜きは芥子之助

右の川柳は『柳多留』が載せるものだが、松井源水と東芥子之介を詠んだものである。元帥は独楽廻しで人を集め、歯磨き粉や歯の治療をした。一方、芥子之介は綾取り{ジャグリング}を見せて投げ銭を受けていた。源水は香具師系、芥子之介は、乞胸刑の大道芸人である。源水については何度か取り上げたので今回は芥子之助に絞って書く。

 まずは『只今御笑草』から。《これもまた(浅草)観音の奥山に出て人を集め、豆と徳利を手玉にとりて、合(あい)(間)には鎌を投げて空中にて豆切るのれんまん(錬磨)其外、金輪、枕の曲、放下、手妻のしなじな、今もその跡残りて、浅草寺の境内に見ることのあれば、詳しくいふに及ばず。
(豊芥〔石塚豊芥子〕補)
芥子之介弟子に東徳蔵と云者に此業を伝へたり。此徳蔵ト云者は、房州磯村の生れにて江戸へ来たり。けしの介の弟子と成、中比(頃)師匠の金輪を盗て上方へ上り、修業してまた江戸へ帰り、浅草観音境内にて、東武蔵(手妻名人)、きも八(めだかの身ぶりの名人なり)三人にて大当たり。其後湯島天神地内へ徳蔵一人にて出たり》

浅草奥山(観音堂の後)で人を集めていた芥子之介は、豆と徳利でジャグリングをしていたが、時々鎌を交えていた。何のためかと云えば、一瞬で掴んだ鎌で空中にある豆が落ちないうちに真っ二つに切るためである。それ程の名人であった。だから皆が目を瞠(みは)り喝采を浴びせたのである。
 それ以外にも金輪(チャイナリング)や枕の曲(箱枕を取ったり重ねたりする芸、今は箱三個を投げて受けたり、重ねたりする単純な芸。当時は箱枕で下の絵に見られるように数も多いし、流れるような技もすごかった)。それ以外にも放下芸や各種手品を見せ大人気であった。 中でもわかりにくいのが、放下である。奈良時代に大陸から伝わった散楽だが、中世以降放下僧(乞食坊主)によって演じられた雑芸のこる」としている。と。
室町時代中半頃からは専ら大道芸として演じられた。主なものをあげるとすれば輪鼓(ディアボロ)や品玉(お手玉)、田楽法師の高足(足場の付いた一本の棒に乗って飛び跳ねる芸)等の雑技全体のこと。
『七十一番職人尽歌合』は室町時代後期(明応九年〔一五〇〇〕)に成立したとされる。これに「こきりこ」を操っている放下の絵がある。(左図)
こきりこは筑子と書いたが、現在は平仮名を使うのが一般的である。元々京都の芸能であったが、江戸へ伝わると、それぞれが半独立し、豆蔵や太神楽などに形を換えたりした。そんな豆蔵の中でも、芥子之介は群を抜いて知られており、個人名が芸を顕すようになった。
  そそそ
これも宝暦の末明和の比にてありける。堺町の辺新吉和良町深川仲町なんど、繁華なる馬を弁天堂建立とて歩きし修行者、浄衣の黒衣のつゆとり股引手甲草鞋履きて、勧化箱背負ひ菅笠に「そ」の字三つ書きたるをかむり、小さき打ち鳴らしのりんに小布団敷き、柄を付けたる数多持ちて、何事かいひて子供の集まればこのりんを借し与へ、数十人の子供修行者を取り巻き、弁天経とやらんを口移しにとなへさせ、間間にそそそといへるを口癖にて、その身も踊り、子供もりん打ち鳴らして、はやしものすることにてありける。左の五指をのべ、右の手に白蛇形の印を結び、条文の様なることを唱へて、ウカタハクジャトギウシンタマニテンウンソワカと唱へ、そそそを口癖にして、りん打ち鳴らし踊れば、子供残らず「トントク如意宝珠そそそ」と同音に唱へて、りん打ち鳴らし囃しけり。果ては果てはゆくりなく町々に流行りて、その頃の名人嵐音八なる者、歌舞伎の舞台にてこの芸を勤め、其の外遊所の町々にて、芸者太鼓持ちなんど騒ぎ唱へにつづり、そそそといへる拍子にて、二上がり三下がりの手ごとに移し、 一枚絵画草子なんどにももてはやし、江戸中専らにて、誠に一時の興なるものにてありける。(『只今御笑草』)
 
『只今御笑草』は、 二代目瀬川如皐(宝暦七年~天保四年〔一七五七~一八三三〕)作。宝暦~天明(一七五一~八九)頃迄にかけて、大道で見られた生業の数々を挿絵入りで紹介した書である。故老などに聞いた中には、宝永~正徳(一七〇四~一七)頃の話も混じる」と。
誰もが知っているものから殆どの人が初めて聞くようなものまで、全三十六種。
参考のため全ての演目を並べると左記のとおりである。①とぞ申しける ②地蔵を念ずる二僧 ③こんこん坊④二人乞食 ⑤大坊 ⑥ありやりんと ⑦立石熊之丞
⑧伊勢大神宮 ⑨お千代舟⑩長太郎坊主 ⑪擂粉木閻魔 ⑫黒座頭 ⑬与吾蓮太夫 ⑭針金売 ⑮そそそ ⑯山猫廻し ⑰長松小僧 ⑱すたすた坊主 ⑲仙人 ⑳赤坂亀 附源坊 21方斎念仏 22松川鶴市 23歌比丘尼 24御祓納 25高野行人 26お七が菩提 27大八 28芥子之介 29角力とろん 30どぜう 31可愛がって 32仙台おばア 33よいやなア 34金作小僧 35二十三夜 36小僧と盲目
 もう一つ
 「大坊」を紹介する。

同じ比(寛保~宝暦〔一七四一~六四〕)にやありけん。江戸町々の門によって、狂歌よみtr物乞ふ大の法師。背の高さ五尺余りにて、世には大坊主と呼びける由、その狂歌一つ二つ人の語りしは多葉粉売る店に立て、
 たばこやは いかなる節の果てやらん 駒をはやめて 切のはやさよ
又或所にて洗濯するを見て
  洗濯は沖漕ぐ舟に  似たりける  棹ささぬ方に のり付けにけり
かように口にまかせ、もの乞歩きける程に、よも即興の吟にはあらじ。よふなべてふものにこしらへたくみおく成るべしとて或所の自身番所にて、人多く集まりゐて、此の大坊を呼びかけ「酒飲ませんに狂歌よむか」といへば、「玉はらばよむべし」といふ。さらばとて茶碗に酒くみ取らせ、飲み干さぬ中に一首と、せちにせめければ
、 能登殿 大や居らるる自身番 それはつぎのぶ これはただのむ
とこそ興じける。いかなる ものの果てにやありけむかし。 目の前で、嗚呼簡単に狂 歌が作れるはずはない。 夜鍋でもして作ってきたと の思惑が見事にはずれた。
 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を共に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。
●第三二八回目 八月二十一日(水(すい))

●第三二九回目 九月十一日(水(すい))

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリーワン、ナンバーワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)

 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
 梅雨の時期には暑過ぎる日が続いたが、本格的な夏が来ることになっている今月は、曇か雨ばかりが続く。お蔭で朔日の富士山山開きには行かず家の中で過ごした。山開きと云っても、都内の富士塚詣のことだが、毎年の行事をサボると落ち着かない。十四日には、初めて戸塚のお札まきへ行ってみようと思うが、それまでには夏空になってくれることを祈る。お願い! 牛頭天王様!

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