大道芸通信 第326号

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  深川江戸資料館主催
江戸の物売りと大道芸 開催

 日時 三月十六日(土)
第一回 十一時半~十二時十分
第二回 十四時 ~十四時四十分 

 場所 江東区深川江戸資料館展示室
    地下鉄大江戸線 半蔵門線「清澄白河」駅
下車 A3出口から徒歩3分

 入場料 大人 四百円 小中学生 五十円
(展示室観覧料でご覧いただけます)

 出演 日本大道芸・大道芸の会


 深川江戸資料館主催恒例イベント、「江戸の物売りと大道芸」が、平成最後の年の年度の終わり、三月に開催される事が決まりました。
 今回も、下手な落語より遥かに面白い話芸の名人・しげちゃんによる「季節の物売り」で始まります。  江戸のお正月。海沿いの町は、ご来光を拝む人たちで 早朝から賑わいました。
ご当地深川のすぐ近く「州崎」もその一つです。月明かりの全くない大晦日(おおつごもり)(=大月籠(おおつきごもり)=新月)の夜道を、黙々と歩いて行き、初日のあがるのを今か今かと待ち続けました。
その甲斐あって、漸く上がり始めたときは、皆が手を叩き柏手を打ってお迎えしました。
あがるまでは時間が掛かるが、あがり始めたら早い。みるみる大きくなってすぐにまぶしくなる。お日様の方を見ていられなくなる。
再び来た道をぞろぞろと帰り始めのである。
家に帰っても、現在のような初詣習慣はなかったので、大抵の人は一日静かに過ごしました。その変わり、二日になると朝早くから活動を始めました。お正月には特別の物売りが来ました。その中から、しげちゃんにまとめて再現していただきます。どんなものがあったか、どうぞお楽しみにしていてください。

①しげちゃん  季節の物売り
②お宝売り   

 お正月気分も過ぎたら 普段の生活に戻ります。ご当地深川では朝採れたばかりの浅利を売りに来る「あさり売り」の声で朝が始まります。また朝食に欠かせない「納豆売り」の声も。共に、鶏よりも早起きしていました。夜の静寂(しじま)を破って、浅蜊売りや納豆売りの声が響きますと、まもなく夜明けが近うございます。

②あさり売り   
③納豆売り

 朝食を終えた男たちを送り出すと、後は女たちの天下です。後片付けや洗濯を兼ねて、早速井戸端へ集まります。
 すると、それを待っていたかのように、様々な「物売り商人」や「物貰い」、「大道芸人」などが、入れ替わり立ち替わり現れ、大そう賑(にぎ)やかでした。どんなものが訪れていたか、ほんの一部を再現してみました。
 甘いものに飢えていた当時は、様々な「飴売り」が来ていましたが、今回は「げんこつ飴売り」をご紹介します。名前の通り大変堅く、口の中で長持ちするので、子供より大人に人気がありました。

④げんこつ飴売り

かりんとはご当地深川名物として、江戸中に知られていました。調子の良い売り声と共にご覧下さい

⑤かりんと売り
 
春先になりますと、様々な植物の苗売りが登場します。夏に花を咲かせたり実を付けさせるためです。

⑥苗売り

 振り声を上げて売る「振り売り」の中でも野菜売りは一番の重労働でした。値段の割に思い野菜を抱えて朝から晩まで売り歩いていたから、一休みするときに使う「息(いき)杖(づえ)」を、持ち歩き、天秤棒と交差させて、両肩で荷物を支えたりしていました。

⑦野菜売り(『煕代勝覧』)

「ひと声も三声もいわぬ玉子売り」と云われたように、玉子売りの振り声はふた声に決まっていました。
 今でこそ玉子は、バナナと共にスーパーなどの目玉商品になっていますが、半世紀前までは、病気になるか祝い事でもなければ、なかなか食べさせて貰えませんでした。それより旧く江戸時代は更に貴重でした(一つ五百円以上)。だから小さな手提げ籠だけで商売が成り立っていました。だから振り売りの中では一番楽な生業と云われ、重労働であった野菜売りとは対照的でした。

⑧玉子売り (『教訓俗下手談義』)

「はったい粉」は小麦を「きな粉」は大豆を粉にしたもの。
砂糖と混ぜてお八つ代わりにするか、蕎麦掻きのようにお湯で練って、ご飯代わりに食べていました(代用食)。

⑨はったい粉売り (『風俗画報』)

一口に屑屋と云っても色々な種類がありました。今で云うリサイクル業者が屑屋でした。中でも紙が大変貴重であった当時は、使用済みの紙も大切に取っておき、屑屋へ売りました。とりわけ紙類は種類毎に細かく分け、何度も漉(す)き返して使いました。最後の漉き返しが浅草紙で、是は厠の落とし紙になりました。
 振り売りは声が良く通るように、上向き加減に呼びかけるのですが、屑屋と雪(せつ)踏(た)直(なお)しは、低い声を地べたに叩きつけるように声を出しました。

⑩屑屋
 
 また物売り商人以外にも、半世紀前までは、江戸以来の大道芸人達が沢山跋(ばつ)扈(こ)していました。そんな彼らが姿を消したのは、高度成長期だった昭和四十年代(1965~74)前半頃です。全盛期は享保年間頃から昭和戦前期=1716~1945までの約二百五十年です。その間、売る商品は変わりましたが、芸の見せ方、啖呵口上は殆ど変わっていません。
 そんな庶民の伝統文化を必死に伝え残そうとしているのが、私たち「日本大道芸・大道芸の会」です。日本大道芸と、わざわざ枕詞をつけるようになったのは、大道芸の会だけだと、洋物と勘違いする人が続出するようになったからです。これからも、ワシントン条約が相手にしない絶滅危惧種・大道芸を伝承するだけでなく元気にするべく活動を続けてますのでヨロシク。
と、能書きは是までにして早速ご覧に入れましょう。先ずは「がまの油売り」からお目に掛けます。
 最近は何事によらず女性の方が元気がいい。大道芸も世の流れに遅れるわけにはいかない。前回まで「女霊媒師」をしていた神田鶴和女史の蝦蟇をご覧下さい。

⑪がまの油売り

 時代劇に虚無僧はつきものです。普化宗尺八の第一人者・藤由越山師、弾真空師による二人虚無僧の吹き鳴らす音色をお聞き下さい。

⑫虚無僧流し

ついさっきまで道端に転がっていた石に、呪文をかけ九字を切るとどうなるか?
 動くんです。
さあ! 本当に動くかどうか……。その目でしかとお確かめ下さい。

⑬神霊術

 最後には、皆さんがようくご存じの「南京玉すだれ」が華(はな)を添えます。これには皆様方のお手拍子が、何より大事であり励みとなります。積極的なご参加とお手拍子をお願いします。
 終了後は、簡単な扱い方の説明をする予定です。

⑭南京玉すだれ

  玉すだれ略史
ここで絵画等に描かれた「玉すだれ」掲載書を偽書を含め再度振り返ってみる。詳細に知りたい人は、本紙第175号外を参照して下さい。

・寛政一二(1800)『文鳳麁画』・文化一〇(1813)『金の草鞋』
・文政八(1825)『近江表座敷八景』
・天保四(1833)『若山城下物貰風俗』
・明治二九(1896)『風俗画報』
・同三八(1905)頃?『筑子の起源考』(平成刊)ご載す
・~大正二(1913)『街の姿』
・昭和四一(1966)フジテレビで紹介
・昭和四四『伝統と現代』
・同四五(1970)『江戸庶民街芸風俗誌』
・同五一(1976)『日本庶民文化史料集成』
・同五四(1979)『江戸行商百姿』
・同五九『江戸暦渡世絵姿』

 大道芸の会会員募集 
「南京玉すだれ」や「がまの膏売り」など、古来から伝わる庶民の伝統文化「大道芸」を一緒に伝承しませんか。練習日は左記の通りです。

●第三二二回目 二月二十七日(水(すい))

●第三二三回目 三月十三日(水(すい))

●第三二四回目 四月十日(水(すい))

時間・午後七時ー九時
場所・烏山区民センター 大広間(二階)
(京王線千歳烏山下車一分)

 また、歴史や時代背景を学び、或いは技術を向上させたい人(オンリー・ワンやナンバー・ワンを目指す人)のために、一名から学習会や特別練習も行っています。
●日時 ・場所(随時)

 随時HP掲示板(ほーむぺーじけいじばん)等で通知

編集雑記
本紙は、深川江戸資料館主催の春秋定期イベント「江戸の物売りと大道芸」の予告編みたいになったが、それもまた一興だろう。
少しでも関心を持ってくれる人はありがたいし嬉しい。そんな人の中から、一緒にやって見ようという人が出たら誰でも歓迎します。
 本紙に記載の電話でもメールでもご一報下さい。

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